米国でiPadが発売され話題になっています。
今後はiPad→iBoard→iMatが発売されるとかいうシャレでネタもありますが、さらにその先には各部屋の壁や冷蔵庫など至るところがモニターになりi-Homeなんて住環境も生まれるのかもしれません。これはpanasonicのライフウォールやシスコのテレプレゼンスなんかの世界観にも近いかな。
こうした技術革新の面白いところは今はイメージとして分かりにくい事も、そうした環境に身を置くと頭や身体が自然と理解し、新しいスタイルを作っていくというところです。
iPadも当初発売されるという情報が出た時はiPhoneが大きくなったダケという意見もありましたが、いざCMが流れそれを使っている様子が出されると、次第に世界を変えるとまでの意見が目立ち始めました。
皆さんも経験があると思いますが、新規事業立ち上げ等で「イメージ」をきちんと伝えきれない場合、既存サービスと比較されてしまいオシャカになる事。アラン・ケイの『未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ』という有名な言葉がありますが、その通りだなぁと。
技術革新はライフスタイル、文化についても変化をさせていきます。
例えば人と話しをしている時に携帯をいじるな!というのがマナー。
しかし、携帯世代で育った方々からすれば携帯でつながっている、つまり、リアルな人も向こうにいる人も同じ環境にいるような理解をしているのかもしれません。
最近、ツイッター利用者が増えてきていますが、セミナーでも、情報交換の場でもちょくちょく画面をいじる人が増えてきています。
ツイッターを理解している人、また携帯文化を理解している人達からすれば、大した問題ではないのかもしれないけれど、分からない人からすれば大きな問題として映るのかもしれません。
※ちなにに私も違和感を感じる事がありますが f(^^;)
しかし、近い将来技術がどんどん進化し一般家庭に普及する価格になってくれば、こうした問題、文化もひっくり返すようなライフスタイルが定着するでしょう。遠方に住む祖父母らともまるで一緒に生活しているかの様な環境や、自宅にいながらにして営業へ出向いたり、コンサートに参加したり、旅行へ行ったりと所謂ドラえもんの「どこでもドア」的な世界観が誕生する。
押し入れを占拠していた布団が布団圧縮機によって空間が生まれ、新しい活用が出来るようになったみたいに、時間がギュッと圧縮されるわけです。
また、人との出会いでも、最近では事前にツイッターアカウントやブログを教えあう事で初対面であっても気軽に話せるようになってきていますが、それについても同じ事が言える。
人間の五感という能力が減退するという見方も出来るけれど、それは布団圧縮機の考えにも近いかもしれないし、もっと言えばそれが時代の流れだと。
しかし、こうした文化が定着するとやっぱり人はリアルで対面するのが一番という事になるものです。まぁ梯子というかライフスタイルの多様化という言い方が正しいな。
坂本冬美さんの君が云々という歌がヒットしています。彼女がインタビューでこの歌の難しかったのは演歌に大切なコブシを出さない事が難しいという事を話していたのを聞いた事があるけれど、それまで大切にしてきた何かを捨てた時に新しい価値が生まれる。
そんな事からも人間はそんなに愚かなものじゃないと思っています。
まぁいつものように支離滅裂な文章になりましたが、ちょっと面白い時代にいるなと感じています。